心の断捨離   

2016年 05月 25日

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お母さん、月日の経つのは早いものですね。あなたを見送ってから二十三回目の秋が訪れようとしています。あの日私は悲しみと共に、心に冴え冴えとした安らぎを感じたことを今もはっきりと覚えています。最近はあなたのことを考える日が以前よりも多くなりました。私も年齢を重ねて来たということでしょうか。

複雑な事情のある相手との結婚をなぜ決意したのか。私が大人になってからの問いにあなたはただ笑っていましたね。幸せかと重ねて訊きたい思いもあったのですが、できませんでした。穏やかに旅立っていったお母さん、それで十分なのでしょう。

幼い頃から大家族のなかで、どこか居心地の悪さを感じながらの暮らしでした。周りの大人たちの雰囲気に意外と子供は敏感です。我が家のはずなのに自分の居場所がないように感じることがありました。誰も私のことが好きではないのではないかと思ったことも。その不安がどこからくるのか、小学校へ上がるころには子供心にもおぼろげながら察しがつくようになっていました。でもそれはそれでまた哀しいものでしたけれども。

私って何なのかな。ひとり夜空を見上げてぽつねんとしていたこともよくありました。今思うとそんな私をあなたはそっと見ていたのかもしれませんね。複雑な思いを抱えて過ごした子供時代。それまでの思いを無意識のうちにも押し込めて楽しく過ごした青春時代。

でも、時間の流れというのはありがたいですね。人の思いを変えてくれるのです。自分でもどうしようもない気持ちが少しずつ少しずつ和らいでくるのが分かるのです。結婚し、子育てをする日々のなかでのことです。自分の存在の確かな意味があると感じられるようになっていきました。自分は母であり命を育みつないでいるという思い、それは自信と自己の肯定につながります。あなたもこうしていろんな思いを抱えながら私たち姉妹を産み育ててくれたのですね。

時間の流れというのは不思議ですね。多くのことが見えてくるのです。人との触れ合いは、泣いたり、笑ったり、憎んだり、羨んだり、喜んだりの繰り返しです。中でも我が子の寝顔を見つめているときのやわらかな気持ちは、初めてのことで言葉では言い表すことができません。あの頃私が親しみを感じられなかった人たちにも、それぞれの立場それぞれの思いがあったはず。このことは分かっていたつもりでしたが、相手の気持ちとしてはっきりと見えてきたのです。

思い返すと幼い頃の自分が愛おしく、こう語りかける私がいます。「がんばったね。大好きだよ」と。お母さん知っていますよね、今月私は古希を迎えます。今、穏やかな日々を送っていますよ。生まれてきてよかったと心から思っていますよ。残りの人生もきっと感謝の思いと共に過ごしていけるはずです。

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昨年文章講座の入門クラスを受講した時の課題「手紙」の文章です。(原文のまま)
70歳を機にこれから生きていく上での覚悟というか、気持ちの整理をしてみたいとの思いから受講を決めたのでした。文章の上達よりもこちらが目的でした。そして添削してくださった先生の言葉がずしんと心に響きました。『和解の自覚』の文章ですねと。

少しばかり複雑な家庭で育った私は、心のどこかに自分でもよくわからない何かを抱えていたのでしょう。引きずっていたという方がぴったりくるのかもしれません。しかし意識はなくとも、もうすでに自分の中ではとうの昔に解決していたのですね。『和解の自覚』との文字を目にして、それをはっきりと意識できました。身体の中にふわっとした温かなものが広がるのが感じられました。もうこれだけでこの講座を受講した甲斐があったというものです。

心の断捨離、これから老いの日々を過ごす私には避けて通れないものの一つでしょう。叶わなかった夢、傷つけたり傷つけられたこと、思い出、その他いろいろ。やさしさで包んでこれらとの別れをしていきたいと思っています。



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by anne-sea | 2016-05-25 21:03 | 暮らし

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